さてさて、地元企業は守りたい、しかし
談合で工事価格が高止まりすることは許されない。何年か前に、「
談合は必要悪である」ということを仰る方とお会いしたことがありますが、ある意味真理であると思った次第です(笑)。その方の理屈も、けして、工事価格を落とさないで高い価格で落札することを目指す
談合が良しとしているわけではなかったのです。
行き過ぎた競争、つまり会社の存続さえも危うくなるほどの金額での入札となるとどうでしょう。
公共工事の予算が減って、出てくる工事が減ってくると、どんな工事でも受けていかなければ、社員を遊ばせてしまうことになる。一方でリストラも進められるでしょうが、どうしても安値入札は発生するでしょう。資金に余裕のあるところは、損をしてまで工事を取ろうとしないでしょうが、余裕が無い企業は、資金繰りのために無理して工事を取ろうとします。そして落札した結果、完工しないで倒産してしまうというようなことになっては、どうにもならないわけです。
そこで、予定価格と落札価格の比「落札率」の低減だけをみて入札改革ができたとすることは愚かであると主張したのです。これが民間であれば安ければ良いわけで、工事の質さえ担保されればまったく無問題でしょう。しかしながら、税金を使って行う工事というのは、工事は安くできたけれど地元の業者はなくなってしまっていたとか、下請け孫請けで採算ラインを割るような仕事しかできないのが地元の中小であるとかいうことになってしまっては、どうにもならないわけです。自然災害が発生した折に、地元の土建業者さんがどれだけ役に立つか、今回の東北の大震災でも、土建業者さんの淘汰が進んだ地域での重機不足など、災害復旧に時間がかかってしまうということは言われたことでした。
では、入札制度はどう変えて行けば良いのでしょう。
たとえば、予定価格の公開を始めます。設計価格・予定価格というものが発表されれば、予定価格を聞き出すことで手柄を立てようとする政治屋さんは仕事がなくなります。また、業者さんから接待を受けたり金員を受けたりする誘惑(圧力)に公務員さんはわずらわされなくなります。公正な入札ができる下地はできるのかもしれません。
しかしながら、ここで、もし、最低落札価格(率)を設けてしまうと、社長は電卓で最低落札価格を計算して入札して、抽選で当たったら、その工事を下請けに分担して発注して利益を得るような仕事もありとなるわけです。丸投げは規制を受けますから、当然偽装も必要でしょうが、極端な話、会社を2~3人のスタッフの会社にしてしまい、入札書類だけ作成する会社に変えてしまって、後は全部外注するのが一番儲かるのかもしれません。
また、本題から話が外れています。話を元に戻しましょう。
かくいう、「予定価格・設計価格」の事前公表も、平成20年3月には総務省・国土交通省連名の通達により、取り止めを含んだ対応を促し、現在に至っています。
工事は安くやって頂く方が良い。
しかし、地元の企業が工事がとれる方が良い。
もちろん、工事の質は維持されての話なのですが…。
このことを評価するシステムが必要です。
実際に公務員の評価制度がどうなっているのか、入札を厳しくして予算が削減できたらその担当者・担当部署は評価されるのか。
その購入・契約先が地元の企業であれば評価されるのかと言うことです。
一方で、
談合による価格決定(価格カルテルや落札者の事前決定)についての厳罰化でありましょう。アメリカあたりでは
談合が発覚したら、その
談合によって得た利益の2倍や3倍の罰金が課されるといいます。日本の場合は、入札価格の1割ほどが課徴金で取られるだけですし、また入札の参加資格停止処分の期間も聞くところによると、入札に関係が薄い時期(発注が少ない時期に)あてられるとまで聞きます。どこまで癒着しているのかと思います。みんながみんなとは言いませんが、政治にも官吏にもゼネコンからの金が蔓延しているのでしょう。そしてその方々が、大きな声で結論を誘導しているのでしょう。いつまでも、恫喝や饗応で人が動かされ物事が決まると思ったら大間違いであると声を大にして言いたい(笑)。
つまるところ、入札が正しく行われるためには、人の倫理意識や価値感の転換以外に方法はないのかもしれません。
どう制度を変えていっても、勝ちたい者は、その裏をかいて、自分たちが有利に戦う(入札で)為に情報を得ようとするでしょう。私企業である限り、仕事が欲しい・利益が伴えばもっと良いという動機を否定することはできないわけであります。そこに、接待や金銭の授受という直接的な贈賄、あるいは天下り先の確保というような間接的な利益の供与で情報提供に報いようとする不正が行われるのです。
先稿で、「大切なことは、談合の有無よりも、工事の質の高さ、そして工事に費やされる税金が少ないこと、工期が常識的な範囲であるということの三点のはずです。談合が「けしからん」とされるのは、不当に高く工事が発注されるからです。」と書きました。
1億円の工事の入札を厳しくして8千万円でできた、それも地元の企業が工事を請け負った。
このことでどれだけその担当者が褒められるのかを考えてみます。
税金の投入額を如何に少なくして、政策目標を実現するかが公務員さんの評価基準であると思うのですが、仕事をしようがしまいが給料はあまり変わらないということになれば、入札を適正に行い税金の投入額を少なくすることに、大きなインセンティブが働くわけはないのです。
たとえ談合があったとしても、工事額・物品の単価が安ければ良いのでは無いかと割り切るとどうでしょう。
例えば、住民サービスを実現するために、その部署に人件費を含めてどれだけの税金が投入されているか、その額をどけだけ削減するかで、そのサービス提供を担当した部署のメンバーが評価される。発注する側が意識を変えれば、談合は怖くないと思うのは私だけでしょうか。
やはり、行き着くところは役所改革・公務員改革でありました。失礼しました。