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確固たる歴史観を持つ

扶桑社の中学校歴史の教科書が各地の教科書選定の場で選考対象として検討され
(国の行う検定にとおった教科書なのですから、当然のことなのですが)
少しづつですが、確実に国民の歴史観が正常化する兆しが見て取れます。
一方、一部の運動家は、恥も外聞もない、不採択運動を続けています。
本当に見苦しい限りであります。

歴史というものは、相対的なものであるということがわからないのでしょうか?
ある国の歴史書と別のある国の歴史書を比べてみます。
同じ時代・同じ国の記述であってもそれぞれに異なって当たり前です。
どちらかが正しいと言うものではないのです。

古くは、元寇・秀吉の朝鮮出兵、
戦争で相手の兵をたくさん殺したら英雄、
しかし殺された国の国民にとって、その英雄は単なる殺人者です。
どちらかが正しいのではなく、視点が違うということなのではないでしょうか。
また、歴史は時の為政者が自己を正当化するために作ると言います。
そういう意味で、現在の日本史は、先の大戦の戦勝国が作ったと言えます。
特に米国の占領政策がたいへんな成功(現在のイラクの状態を見ると(笑))
を収めてしまったのでありまして、
「日本人の魂を骨抜きにし」、
「二度とアメリカに対して、「NO!」と言えない国にしてしまおう」
という施術に填ってしまった結果の自虐史観に充ち満ちています。

占領軍は途中で方針を変えた(反共戦略により)のですが、
国を破壊し共産主義国家を目指そうとする売国一派は、教職員組合に巣くい、
日本という国に誇りを持てない歴史教育を確立していったのです。

一方、中華人民共和国という国は、歴史上多くの国が興りそして滅びました。
秦・漢・隋・唐・明・清、中国は国ではなく、その地域を指すのです。
様々な国が興り消えていった地域なのです。
その勃興の中で、
前の王朝の歴史はそれを打倒した王朝が自分たちに都合がよいように描いて来ました。
それを経験している、そういう歴史を自国の歴史に持つ中国は、
歴史は自分たちの都合がよいように書き換えることに戦略的に長けているのです。
だから、ノー天気な日本人は、保守政党の中にまで、中国の歴史観を植え付けられ、
売国発言に終始する者がいるほどの術中にはまってしまうのです。

確かに、戦争はよいことではありません。
国際的な紛争の解決は、話し合いで解決されるに超したこと無いのです。
世界の国々といがみ合って生きていくことは得策ではありません。
そんなことは当然です。
しかしながら、現代の尺度で、大東亜戦争の戦争責任を問う輩が多いことは、
慚愧に堪えません。
その時々で精一杯の判断をした先人を、現代に生きる私達がどうして責められるというのでしょう。
外交の一手段としての武力行使という選択肢は自然にあったわけです。
戦争の責任は、その当事国一方にのみ負わせるべきものではないことは歴史が証明し、
あえてここで論じる必要はないでしょう。
その上、戦争に負けた国がその国の文化や伝統を捨てさせられ、
「魂まで抜き取られる」ということなどあってはならないことです。

 先の中国の例を取るまでもなく、勝てば官軍であります。
日本は第一次世界大戦の戦勝国になり、南太平洋の島々を委任統治する権限を得ました。
日清・日露の戦勝によっても、領土を(当時の国際秩序の中で)合法的に領有することになりました。
確かに、戦勝国ゆえに正当化された部分もあったことはここでも否定しません。
そして、大東亜戦争の敗戦により、それら全てを失いました。
日ソ不可侵条約を破って参戦したソ連に至っては、北方領土の領有などを認められる始末です。
第二次世界大戦(国際的な呼び名です)の頃でさえ、
戦勝国は、このような理不尽(現代の尺度では)をも非難されることはなかったのです。

 先の大戦で交わされた、
軍備の無条件放棄」という降伏条件は、
いつの間にやら、国が無条件降伏したと喧伝されました。
東京裁判もしかりであります、戦勝国の判事によってのみ裁かれました。
国際法も無視し、事後法(罪刑法定主義という、罰則法規の根本原理を無視してまで)で裁きました。
今の日本の歴史観が、こういう占領政策によって作られていることを気づいて欲しいと思います。

愛媛県の県立中学校の社会科教科書に扶桑社の教科書が採択されました。
我が宇和島では、別の教科書が採択されました。
リーダーのリーダーシップの違いであろうかとも思ったりしますが、
松山市の教科書選定に関わる、教育委員の自宅に脅迫電話がかかったということも聞きました。
まずは、教育委員にどこまでの責任を負わせるべきであろうかと思ってしまいます。
脅迫を受け、扶桑社の教科書を支持すると、一部の運動家が右翼・軍国主義者のレッテルを貼り、
糾弾します。
こんな状態で、公正な選定が行えると言うのでしょうか?
各地の教育委員のみなさんには、たいへんご苦労な作業を進めていただいていると、
頭が下がる思いであります。
また、もう一つに、この教科書採択について、
教員試験に一度通っただけの教員の意見がどこまで力を持つべきであろうかという点も
疑問であります。

民主主義の実現という観点からすれば、知事や首長・議会にこそ、
教科書(地域・国の子供達の教育はどうあるべきか)選定の権限はあると考えるべきではないでしょうか?
そして、議会の信任を受ける教育委員が教科書選定に関わること、
そして一部運動家の教員よりも委員の意見が重用されることが、
民主主義的手段と考えるのは私だけでしょうか?
少なくとも、知事が教科書採択について圧力をかけたなどと、
くだらぬ言いがかりは許してはいけないのです。
義務教育は、税金をもってなされる国民としての身につけておいて欲しい最低限の教育であります。
政治が、意見を述べていけないはずがないのです。
教科書採択についての手順手続き、決定権者、決定のシステムを正常に戻せる風が吹いて来たように思えます。
敗戦という呪縛を離れて・・。

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Author:motosuke.net
神戸の震災の支援に行き身体の動かない自分に気づきました。
それからジョギングやスイミングを始め、14㎏の減量。
一応、トライアスリートです。冬場は、駅伝も走ります。
JC時代から、地域づくりに関わり、公開討論会を開くなどしました。そんな私が、2009年夏、公開討論会の当事者になってしまいました。
その後、0からのスタートとして、市議会議員に当選して活動を続けています。

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